侮るなかれ、北杜夫のファンタジー
これが物語の作者の言葉か。
わたくし、つまり小説家キタ・モリオは、これから船乗りクプクプの物語をかく。
よみたい人はよむがよかろうし、よみたくない人はよまないがよかろう。
(クプクプとは何者か?より)
開いたそばから北杜夫
原色っぽい表紙に圧されて、買ってしばらく手を出さなかったこの本。
小説の中でもうひとつの小説が進行するユニークな本なのだけど、
北杜夫ワールドに溢れていて、読んでいる間中、わくわくする。
ゆるゆる、いかにもテキトーそうな口調で、テンポよく物語が進む。
船乗りクプクプの冒険
勉強が苦手で宿題ギライなタローは、海が好きな男の子。
本屋でキタ・モリオ氏が書いたベラボーに安い本を買ってきた。
手につかない宿題を早々にほっぽり出してその本を読み始めると、
それは2ページの本文とあとがきしかないトンデモ小説。
パラパラやっているうちに、物語の世界に吸い込まれてしまう。
おまけに「お前は主人公クプクプだ」とかいうことになり、
時代も場所も設定がメチャクチャな世界で航海に出るハメになる。
おろすはあげるでチビは大きくて、やせは太ってる
登場人物はみんな天然ボケみたいな人ばかり。
機嫌がいいとニコニコしてパチパチと手を叩く気分屋の船長が
なんとも言えずかわいい。
作中には北杜夫の化身、キタ・モリオが出てくるのだけれど、
この人こそが、小説を本文2ページ書いて逃げ出した張本人。
豚とニワトリを追いかけたり、オサルのカゴヤだホイサッサを
踊ったり、ドドンパを踊ったりするおかしな小説家。
ちなみに、このお猿のカゴ屋の歌。
私は世代的に馴染みがないのだけれど、遠藤周作の
『ぐうたら人間学』にも登場する。
この本で、以前の私の遠藤周作像は崩れ去った。
子ども向けで大人向け
解説も含めて子どもが楽しめるように書かれているのだけれど、
メチャクチャに進行する物語の中に、ふっとすごく大事な
ことが書いてあり、「そうだよなぁ」と思わせる。
なにかを覚えていても、頭のいい証拠じゃあない。その知識から自分でくふうして、応用ができる人が頭がいいのだ。
(この船はどこへ行く? より)
”けがの功名”ということばが、なんのことかわからない人たちは、メンドくさがらずに、字引きをひいてみるといい。
(すごいあらしがくる より)
忘れた頃にキタ・モリオ
快調に読み進めていると、頃合いを見計らってキタ・モリオ氏が
介入してくる。この作中の小説家は、ダメダメでだらしがなく
弱虫なキャラとしていい味を出している。
一方で現実の北杜夫氏も小ネタを忘れない。
小柄なクプクプが、レ・ミゼラブルのガヴローシュをも思わせる
勇気を振り絞る場面。ロープを切ろうと取り出したジャックナイフ
は刃が容易に開かない。
みると、「とびだしナイフはいけません警視庁」との彫刻。
これをやっとのことで開くと、実は児童保護
委員会推薦の安全ナイフで、切っても切れない。
北杜夫ファンタジーを侮るなかれ
子ども向けだと侮るなかれ。一度読み始めたら止まらない一冊。
童心に返ってわくわく読み進めながら、時々ハッとする。
何度も出てくる「土人」という言葉に、現代のモラルから疑問を
感じつつ「昔の本だからな〜」と読んだけれど、北さんはそこも
ちゃんと分かって書いていた。見た目や固定観念で人を判断する
ことの危うさに関する、北さんからのメッセージだった。
個人的には終わりが少し物足りなかったけれど、
時代と世代を超えて愛される北杜夫を、また少し好きになった。
(リンク: 船乗りクプクプの冒険 (集英社文庫) )