生きてるって、身震いするほど恥ずかしい。今日も、滑稽な己の『舞台』で。
大きなプロジェクトの最中、重めの仕事を1つやりきった反動。
知恵熱冷めやらぬ土曜は、管理部門のくせにエンジニア向けの一冊、
久々に休日気分を味わいたかった日曜は、あまたの積読小説から。
本を買うときには、ほとんどフィーリングで選ぶ。
そのくせ、うず高く積んで積読本にしてしまう。
当然、読み始める頃には何で買ったのか忘れている事もある。
舞台
好きなタイプの装丁じゃないけどなぁ。
裏表紙に目を落とす。
太宰の『人間失格』が好き、初めての海外旅行で盗難に遭い無一文、
自意識こじらせ系の、29歳男性。
え。
やばいやつじゃん。
やばいのは自分も同じか
ところがこの本、けっこう共感してしまった。
人のあらを探したり、蔑んだりするクセはないけれど、命の危険に勝ってしまうほどに過剰な自意識もないけれど。
この、羞恥の、どうにもならないヒリつき。
それを知っているのに日々新たな羞恥に出くわし、逃れられない感覚。
知ってる。
この主人公に共感してる自分、大丈夫か?
あるいは、著名作家の人気作品なんだから、共感するのがマジョリティ?
いや、違うだろうな。薄々気づいてたけど。
巻末の対談で、著者の西加奈子さんは、主人公の葉太に共感するような読者は心配だと言っていた。
生きているだけで、恥ずかしい。
文庫版の帯、背表紙に書いてある。
筆者にとってこれは、一言一句たがわず、何年もの間、自分の人生に対して持ってきた感想。
思い出した。
本屋でこのコピーを見て、「あ。」となったっけ。
その顔、その言動、誰に見せてるの?
途中、主人公の葉太は考える。
社会には、「ここまではセーフ」「ここからはアウト」というラインが、目に見えないが、厳然としてある。(中略)そして、少しでも「あっち側」に行った人間がいると、嘲笑したり、ときには恐怖したりして、結果、排除するのだ。
そう、わかる。
「あっち側」に行かないようにと"普通"を演じる自分に、「あえてあっち側」にチャレンジする自分に、むしろ諦めて「あっち側に甘んじている」くせに人の目を気にする自分に、見覚えがある。
今の筆者は、一番厳しくて一番気の合う自分自身が筆頭株主なのだけど。
「うん、いいじゃん。」「粋だね。」
右肩に乗った小さな自分がそう言ってくれる選択や仕事ができるようにと、時に軽やかに、時に泥臭く、生きている。
思い出す
筆者は、なかなかに引っ込み思案な子供だった。
それに、他の子に比べ、周りの大人の望む像や、同級生に一目おかれる振舞いを心得ていたように思う。
おそらく内向的な性質が原因で、良く言えば観察力があり優等生、悪く言えば自我に貧しく意見が無い、そんな子ども。
いい子を演じる内、規律を身につけた。
善悪や正誤には往々にして答えがある。意見の無い人間にも、理解して身に付けるのは難しくない。物心ついて、「ルールを守れる」ことにはそういう側面があると気づいた時には、少し虚しく感じた記憶がある。
正義感が強いその子は、元々カースト上位ではなかったのだけど、クラス内のいじめを許せずに立ち上がった。小さなヒーローは、数の力に押され、しばらく自分もいじめられる。それまでで一番はっきりと、「あっち側」を認識した時かもしれない。
「あっち側」では、いろいろ考えた。
諦めて「あっち側」に甘んじようかとか、マジョリティに"迎合"せずに「こっち側」への行く道は無いかとか、寧ろ「あえてのあっち側」がカッコいいのではとか。
いじめを克服しても、高校生になっても、もはや大学生活半ばまで、「あっち側」を意識していた。一概に「あっち側」を問題視するのではなく、いたってニュートラルに捉えてはいたのだけど、いつも頭の片隅にある、煩わしい好奇心の対象。
一方で、いじめられっ子の当時から、集団の線引きの「曖昧さ」は見抜いていた。
あっち側だろうがこっち側だろうが、普通だろうが変人だろうが、人間の線引きなんていい加減なもんだ。都合が良くて、時代や環境に合わせて変幻自在。
いつの頃からか、そんな頼りない外界の基準はそれほど気にしなくなった。
でもやっぱり
生きているって恥ずかしい。毎日毎日ハズカシイ。
あれができないこれができない、
あれをしちゃったこれをしちゃった。
自分はなんてはずかしい奴なんだ、毎日毎日 恥をかかせて、まったく。
こんなはずかしい奴は、この国に2人といないのじゃないか。
どうしてこうなった。
葉太のように、自分の体を力任せに叩いた記憶も、数え切れない。
「今後の自分は、思慮深く、用意周到 隠忍自重。はずかしいことなんて、金輪際、起こりっこないんだっ」
誓ってみたことは何度もあるのだけど、そんなのは所詮、実現しないのだ。
普段はこんなに吟味して、分析的に、考えて生きているのに
羞恥の素って、どうしてコントロールできないんだろう。
著者の西加奈子さんが『舞台』で言うには、もう、しょうがないんだそうで。
いいかげん、受け止めなよ、それ。
大丈夫じゃないけど、きっと、大丈夫だから。
この小説は、そんなふうに聞こえた。
自我ってなんなんでしょうね、一体。
ほんとに。
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